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空っぽの世界を描いている映画『さよなら、退屈なレオニー』について

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The Fireflies Are Gone (Original Movie Soundtrack)

 連日連夜テレビをつけてもネットに繋いでも、くだらないよしもと問題ばかりで辟易していて。部屋にいてもつまらないので、気晴らしに映画を観に黄金町のジャック&ベティへ。昼前に出かけたので、ちょうど1時ぐらいにやっていた映画を観ることに。その時にやっていた映画が『さよなら、退屈なレオニー』(2018)でした。チラシにはカナダの新鋭監督セバスチャン・ピロットが脚本も手がけ、トロント国際映画祭最優秀カナダ長編映画賞を受賞したと書かれていました。

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 内容はカナダのケベック州の小さな街を舞台に高校卒業前の1ヶ月間の少女の生活を中心に描く物語でした。街にあった産業が撤退して何年か経ち、産業の空洞化があらわになった状態の街に主人公の少女は住んでいます。卒業後の進路は決めておらず、母親とその再婚相手の養父たちから卒業後どうするのかとせっつかれているが、特に何もせずにやり過ごす毎日の繰り返し。実の父親は閉鎖された工場の労働組合のリーダーだったが、現在は北部の別の工場へ働きに出ていて、ほとんど街にはいない。

 同じ毎日、同じ人たち、同じような仕事、新しい出会いから新しく始めることもあるが、結局は同じ街の中のことなので実際は何も意味がない。全てがくたびれていて、全てが空っぽになっている。閉鎖された工場の跡地もだだの空き地になり、街にも人はいなくなり、複雑な人間関係があるわけでもなく、示唆に富んだ会話があるわけでもない。

 つまらない街、つまらない生活、つまらない会話、つまらない人間たちと少女の生活をただただ覗いている。今や世界中どこにでもあるような退屈な少女の生活を何も劇的な展開も加えずに映画が作られており、かつ少女を映した時の画が余白が大きくとってあるような映した方で、より空っぽな感覚は強調されていたと思う。映されている街自体にもう何も残っていないのだから、、、。

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 また、原題はフランス語の映画なのですが、英語だと『the fireflies are gone』になっていました。映画の内容を思い出すと、工場が撤退したあと気づくと「もう蛍がいなくなっていた」と話している会話がありました。単純に「蛍が消えた」ことを使って自然破壊を嘆きたいから言わせた比喩ではないことは、当然わかると思います。

 かつてぼんやりとしていてもあった小さな期待や夢や希望といったことさえも、気付いた時にはもう消えてしまっていること。残ったのは空っぽの心と空っぽの街だけになっていて、もう取り返しようのない過ぎ去った時やささやかな光があったことがテーマであることは、この一言で暗示されています。

 しかしながら、ささやかな光でもないよりはあった方がいいと主張することは一切ないので説教くさい映画ではないです。最初から最後まで一貫して少女と街を覗き続けているだけの映画だといってもいいと思います。

 だからと言って、見ていて本当に退屈な映画に陥ってはいません。普通の人の生活だって視点によってはつまらなくも、面白くもなることは誰でもわかることですよね。だから監督の視点次第なのはいうまでもないとは思います。この作品『さよなら、退屈なレオニー』はミクロな視点でそこを描ききった秀作でした。

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