シアトルの音楽シーンで名実ともにナンバーワンだったロックバンド、サウンドガーデンが1994年に発表した4thアルバムが『Superunkown』です。
このアルバムは1991年のニルヴァーナの大ブレイクから始まったグランジブームが陰りを見せる中発表され、初の全米ナンバーワンと、直後にニルヴァーナのカート・コバーンが自殺するというショッキングな時期に大ヒットしたバンド史上最大のヒット作で、それがLP2枚組の『Superunkown』になります。
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前作の『Badmotorfinger』(1991)がギターリフ中心のアルバムで、正統派のハードロック然とした作品だったのに対して、今作は全15曲がそれぞれ独立したアプローチで作られているのにもかかわらず、アルバムとしての統一感も失っていない稀有な作品でもあります。
そして、本人たちがインタビューでも言っているように全曲チューニングを変えて作られています。また、オーバーダブを極力抑えた一発録りで作られたのが本作なので、前作よりもシアトルのグランジの特徴であるギターとベースが一体になった激しいうねりを強く感じさせる部分も強いです。ほとんどオーバーダブをしていないのは近年出たBOXセットで聴けるデモ音源を聴けば明らかなので、バンドとしてどれだけノリにノッテいたのかがわかると思います。
だからと言って、聴いた時にグランジ特有の暗さと重さが強すぎて気が滅入ってしまうような音楽かと言うと、そうではありません。暗くて重いまま絶妙のバランスでキャッチーさを併せ持ったアルバムであり、初めてサウンドガーデンを聴く人には本当におすすめです。
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ただ意地悪な意見で、一聴すると古臭いただのハードロックアルバムだと言う意見もありそうです。
そして、そんな風に聴こえる主な要因がボーカルのクリス・コーネルのハイトーンでシャウトする部分とギターリフが目立って聴こえるからだと思います。私も最初はそんな風に聴こえるのに意外と音が大人しく感じて、大したアルバムでないとがっかりしました。だけど、なんとなく何度も聴くうちに音が悪い部分を除いても曲自体の良さもあるので、気が付いたらハマっていたアルバムです。
今では、70年代から80年代にかけて隆盛を極めたハードロックとは全く違うアルバムだと思っているのですが、何故大したアルバムではないと感じてしまったのでしょうか?
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理由の中で一番はっきりしていることが一つあります。当時のCDの音が異常なぐらい悪い。
私はこのアルバムの一番の特徴がボーカルとスネアの高い音と、ギターとベースの低く重い音の対比だと思うんですが、それが大音量にしてやっとわかるぐらいの酷さ。基本ショボい音にしか聴こえない。ニルヴァーナ以外は当時のグランジのアルバムは軒並みひどい音です。
加えて、ルックスが男っぽくて汚らしい普段着なので、中性的なルックスとステージ衣装が好きな日本ではあまり受け入づらい土壌だったこともあげられます。それゆえに注目されず、悪い音でも問題視する人が日本には誰もいなかった。そう言った点も日本でヒットしなかった要因として強かったのではないでしょうか。(実際ipodからのデジタルリリース革命が始まるまでは、欧米はレコード中心だったのでCDの悪い音は問題にしていない)
だから、今から聴き直すならデジタルリマスターしたものが本当におすすめです。全く音が違うのではっきり言って別物で、このバンドの凄さと本質がよく伝わります。
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そして、そろそろ本題のアルバムの内容について語りたいと思います。 LP2枚組として発表された本アルバムA面の1曲目は「Let Me Drown」です。変則ダウンチューニングを使ったバンドが一体になってうねるようなノイジーなリフから曲が始まり、ドラッグからイメージを引っ張ってきたような歌詞とメロディから、だんだんとクリス・コーネルのボーカルがサビのシャウトまで激しくなっていきます。その後一転してテンション完全にを落とし動と静でメリハリをつけます。そしてまた激しいサビに戻り、最後まで高いテンションで押し切ります。やや単調に感じられた前作のアルバムよりもバンドとしてより成熟したことを示す、正にリードトラックとしてアルバム冒頭を飾るのにふさわしい曲です。
2曲目がビートを効かせたサウンドガーデン流のパンキッシュサイケデリア「My Wave」です。この曲はパンキッシュな曲調からだんだんとサイケデリックな曲調に変化していきながらメロディのキャッチーさは持続する不思議なソングライティングの妙を感じさせます。ナンセンスな歌詞も相まってジョン・レノンのサイケ感とハードロックバンドが合体したかのようです。
3曲目の「Fell on Black Days」はアルバムで最初に出てくるグランジマナーに沿った曲と言えます。いい意味で単調なリフとシンプルなコードを繰り返すギターで曲を最後まで引っ張っていきます。もしハードロックバンドだと思って聴いていたら、肩透かしを受けるように淡々とボーカルは歌い上げていきます。ドラッグなのかトラウマなのか運命なのか、逃れられないことについて繰り返し歌っていきます。それゆえに、曲調も歌詞も暗い世界を感じさますが、ある種のブルーズ的繰り返しの気持ち良さを感じる中毒性の強い楽曲です。
4曲目の「Mailman」 もグランジマナーに沿った曲です。先の曲と同じようにベースとギターによって延々と繰り返されるリフに沿って歌い上げていくのですが、ドラッグディーラーをMailmanとわかりやすい比喩で例えたドラッグソングで、作曲はドラムのマット・キャメロンです。ですが、先の曲との大きな違いはクライマックスに向かって強く声を張り上げシャウトしていくので、より強くボーカルのクリス・コーネルの声量と歌のうまさを感じさせる曲です。
この曲までで、LPのA面が終了です。CDでもデジタルファイルでもここで一旦停止した方が聴き方としてはいいと思います。理由は各面がEP単体並みのまとまりが強いからです。そこで区切って聴くと、このアルバムの全体像が掴みやすくなりより聴きやすくなるはずです。
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B面の始まりが、5曲目のタイトルトラックにあたる「Superunknown」で、全編シャウトしまくり、リフでグイグイ引っ張りまわす曲です。つまり、最後までテンション高くフルスロットル全開でアルバムの中で一番ハードロック然とした楽曲です。この強烈なシャウトを聴いてしまうと、初めて聴いた人にレッドツェッペリンのようなバンドだと思われてしまう可能性が高いので、タイトルトラックでありながらもB面の頭に持ってきたのでしょう。とにかくクリス・コーネルの声量と激しいシャウトがすごいと感じるためにあるような曲です。すごすぎて溜め息が漏れます、誰も真似できません。
また、歌詞も凡庸で男根的なハードロックバンドとは一線を画しています。タイトルからしても造語で抽象的な歌詞で知性を強く感じさせ、クリス・コーネルがただ歌うだけのすごいボーカリストではない、他との違いをより一層感じさせます。
6曲目がベースのベン・シェパードが作詞作曲した曲で「Head Down」です。この曲で一旦上がったテンションをサイケデリックな曲調で落ち着けます。本作ではアコースティックな楽曲はないものの、こういった曲で次に来るバンドの代名詞になった曲への前奏としてこの曲をさし挟んできます。
だからと言って、この曲は凡庸な曲になっておらず、幻想的な歌詞とメロディのリフレインと音の響きの中をドラムが動き回る曲で、単調に聴こえそうな曲をエコーとリバーブいっぱいで埋め尽くす正にサイケデリックな楽曲です。この曲もクリス・コーネルがただのシャウターだったら歌えない曲で、自分の声の響きを本当に楽器として扱っているからこそ成り立つ曲です。
B面の最後の7曲目になるのが、ハードロックバンドだと思っていた人たちに衝撃を与え、なお且つグランジの代表格でありながら、ジャンルレスなバンドだと周りの視方を完全に変えた曲の「Black Hole Sun」になります。
一聴すると、始まりが静かでソフトな明るい曲調ですが、そのソフトな印象と対比するかのように暗い言葉で埋め尽くされています。例えば、タイトルからして「Black Hole Sun」ですし、最初から「indesposed」(悪い気分)、「in disguises no one knows」(変装しても誰も知らない)、「hide」(隠す)、「snake」(蛇)などといったような主に悪い意味で使われる暗い言葉だけが最後まで使われて、最終的にはタイトルが「死」に強く惹きつけられていることの暗喩のようなイメージになっていきます。
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ここまで救いようのない暗い曲は、同時代のバンドやそのあと出て来る自己憐憫を強く感じさせるダウナーなイギリスのバンド群とも一線を画します。そういった自己憐憫バンドがそれに浸る自分のナルシスティックな面を隠した上で、強く計算されたリスナーへの共感を狙っていたのに対して、より普遍的で抽象的な曲へと昇華されており、アメリカの80年代の能天気なセックス、ドラッグ、ロックンロールバンドとも完全に次元が違うことを明示した曲と言えます。
まるで、世界で初めて殺人をテーマにして歌ったブルーズの生々しさが現出したかのようです。つまり、クリス・コーネル自身の個人的な問題を歌っているように感じさせながら、同時に普遍的なテーマである「死」をその言葉を使わずに感じさせるソングライターとしての唯一無二感があります。この一曲がクリス・コーネルのボーカリストとしての多様性とともにソングライターとしての多様性をも併せ持った史上最高のボーカリストの一人だとの名声を決定付けました。
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この前後から有名なロックバンドの白人ボーカリストはみんな自分より上だと白旗を上げ続けてます。イギリス人らしい毒と攻撃性が実は強いロバート・プラント、正常な人間なのか異常な状態が正常なのかわからないアクセル・ローズ、意外と真面目で倫理的なアリス・クーパー、もちろん前から知り合いの同い年で親友のエディ・ヴェーダー、同年代で売れてるバンドは基本貶しまくるカート・コバーンでさえもこの曲以前からべた褒めです。
そして、このアルバムからサードシングルとして出したこの曲は大ヒットします。その結果、この曲が一般的なバンドの代名詞になるとともに、これまでになかった異質な響きを有したネガティブな言葉の曲がこれからの時代ヒットするという下地になります。言い換えれば、その後出てきたアメリカのヘヴィロックのフォロワー達がやたら自傷行為や死についてばかり安っぽく歌うことやイギリスのバンドの自己憐憫ソングがヒットするヒントをニルヴァーナのスメルズのように与えた曲だとも言えます。以上が2枚組のうち1枚目のアルバムの内容になります。
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次が2枚組のアルバムの2枚目の冒頭の8曲目で「Spoonman」になります。この曲を聴く時もCDやデジタルファイルなら一旦間を空けた方がいいです。この曲も2枚組となるのでA面ではなくC面の冒頭の曲として、先のA面、B面の曲と同じでリフ中心ですがアップテンポなナンバーです。また、アップテンポでパンキッシュなナンバーなので、曲調は明るく軽快です。
しかし、この曲も「Spoonman」のタイトルから考えればわかることなのですが、やっぱりドラッグのことを歌ったようにしか聴こえません。歌詞の内容はスプーンを使ってドラッグにまみれた自分のことを歌った曲なのか、タイトル通り売人のことかはわかりませんが。
しかしそれでも、このアルバムの中では、ヴァース、ヴァース、コーラスの基本的にオーソドックスなつくりのキャッチーな曲なので、最初にシングルできられたのでしょう。それでも、このタイトルと内容で発売するアメリカの懐の広さはすごいです。もし日本のバンドだったら、村八分の曲と同様の扱いで放送禁止の扱いかもしれません。
9曲目が「Limo Wreck」で作曲はギターのキム・セイルとドラムのマット・キャメロンになります。グランジマナーの重く引きずるようなリフとシンプルなドラムでゆっくりとしたテンポで進む楽曲で、この曲も繰り返しの妙があるのですが、その単調なリフを利用しながら、歌詞を独立した言葉のイメージをそれぞれ羅列させていくことで聴いているこちらのイメージを次々と変えていく面白い曲です。まさにリムジンの車窓から眺めていると通り過ぎていく風景を次々と書き留めているように言葉を紡ぎます。
また、その裏にある都会の幻想や無意味さをこんなもの大破すれば死んでおしまいだと、サビで何度も強調します。ロックスターなのにその馬鹿らしさ虚しさを歌った楽曲に聴こえて、クリス・コーネルが名声について何を考えて歌っていたのかがよくわかる非常に興味深い曲です。
10曲目が「The Day I Try to Live」でベースとドラムのリフで曲を展開していく曲です。死にたかった時の気持ちと今死ぬのを思いとどまっている曲のようにも聴こえますが、一方でこの曲もドラッグをやめようとしてもやめられない嘆きを歌っているようにも聴こえてしまう曲です。しかし、この曲もそういった厭世的な感覚が強く流れていますが、静と動をヴァースとコーラスではっきりと繰り返していく気持ち良さがある楽曲です。それも、このボーカルの力に負うとこが強く、しっとり歌ってから急激にシャウトしていく技量がなければ全く成り立たない曲で、誰もカバーできないはずです。凄すぎます。
11曲目が「Kickstand」で2分を切った一番短く、ストレートなパンクソングと言った曲です。作曲がギターのキム・セイルのこのアルバムで一番キャッチーな曲です。だけど、シングルできられなかったのは、あまりにも短い曲だからでしょう。おまけに歌詞も適当につけた内容で、一番聴いてて意味なく聴き流せます。しかし、小気味好くバンドがタイトにチャチャッと演奏して、キリよく終わるのでテーマが重くなりがちなC面を明るく終わらせます。
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二枚組のアルバムの最後に当たるD面の始まりは「Fresh Tendrils」で12曲目になります。ドラムのマット・キャメロンが作曲した曲で、ヴァースからコーラスにいく際にリズムが変わる変拍子の曲です。まさにバンドサウンドの塊のような曲で、どれが欠けても全く成り立たない絶妙なバランスの上に立った曲です。
加えて、変則チューニングとリフだけで作られた曲なので、コード感は希薄です。そして、自然に聴こえるドラムの変拍子に惑わされないようにその下をより低くチューニングされたベースラインがしっかりとメロディを導いていく曲です。コード感が希薄であるにもかかわらず、しっかりとサビのある曲に作られているので、注意して聴かなければそんなに難しい曲には聴こえないぐらいメリハリの効いたカッコイイ楽曲です。
また歌詞は「Fresh Tendrils」とタイトルを直訳すると「新鮮なつる」で、植物ってなんだ?と思い、歌詞の内容を聴いていて一見するとセクシーなことを歌っているような感じがするんですが、やっぱりドラッグソングで解釈した方が辻褄の合う曲になっています。タイトルを聴くと意味不明なので逆に意味を考えて深読みしてしまうかもしれませんが、それを気にしなければクリスの緩急の効いたボーカルとメロディにバンドサウンドが組み合わさった素晴らしい楽曲です。
13曲目が「4th of July」になります。誰が聴いてもわかるぐらいドラムも含めた全ての楽器のチューニングを低く下げた曲です。シンプルなリズムに、ベースとギターのユニゾンリフをひたすら繰り返しながら、同じように高い声と低い声でユニゾンさせたボカールメロディをヴァース、ヴァース、コーラスのポップソングのマナーを使いつつも、暗く重い雰囲気で曲を盛り上げるというよりもひたすら盛り下げていきます。
そこに7月4日のアメリカの独立記念日という特別な日をテーマにして歌うというよりも、そのお祝いムードと対比させた孤独を感じさせる言葉で、まるでこの日が人類最後の日になったかのような暗い楽曲です。つまり、暗くて苦しくて救いようのない歌詞と曲が一体となって表現された暗いブルーズのような世界観をこの楽曲からも感じられます。
14曲目の「Half」はベースのベン・シェパードが作詞作曲した曲です。この曲はリズムがずっと動いているように進みながら、無調感を感じる中近東の混じったフリージャズのような楽曲です。一応歌詞とメロディもあるのですが、幼児がふざけて喋っているような内容です。つまり、無意味でシュールなコメディソングのような楽曲でライブで披露した時は歌わずにバンドでジャムっています。最後の曲に向けてのプレリュードになる曲ですが、ただの捨て曲ではなく無調感の強い曲をボーナストラックにせずに入れるあたりが、このバンドの懐の深さをかえって感じさせるいい楽曲になっています。これはこれで面白い曲です。
そして、いよいよトリを飾る最終曲の15曲目が「Like Sucide」なります。ドラムの音から始まるサウンドガーデン流のバラードに仕上げられた曲で、初めて三人称の彼女が出てくるラブソングのような曲ですが、そこはクリス・コーネルの作る曲です、歌詞の中で愛が自殺のようなものだと歌われて、おまけにブルーズマナーに沿って作ったかのように殺人にテーマが変わり、自殺するように死んだと歌の中で語ります。あくまで彼女のことを歌いながら、死をテーマとして扱っていることが明確なのにもかかわらず、抽象的で掴み所がない内容の曲です。
また、曲はバラードのマナーに沿って静かに朗々と歌いながら、だんだんと激しくなっていきます。普通のボーカリストのバンドなら不可能な曲で、様々なジャンルの曲を歌い分けれる表現力と肉体的に強い歌唱力がないと成立しない曲です。
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だから、普通に上手いだけのハードロックの歌手でもダメですし、かといってカントリー歌手のようにただ中低音域を歌っていればいいのかといえばそれも違います。大事なことは、朗々と歌いながら、声を張りつつどんどん高い音域へと登っていくように歌い上げることが必要で、高い声に地声の力強さをだんだんと加えていく見事な喉のコントロールは聴いていると惚れ惚れしてしまいます。
そして、最後の最後にクリス・コーネルの歌のうまさがこの曲でより一層強調されることで、曲があまりにも暗くて重い救いようのない世界として完成して、このアルバムは終わりを迎えます。
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最後に
それにしても、のりにのっていたバンドの出したアルバムの最後が自殺がテーマなのは異様です。このあと出てくるイギリスのオアシスとは対極の位置にいるバンドです。演奏も曲の多彩さも、どんな曲でも書ける力量もあるのに決して明るいポップソングは書かなかったバンドです。
そして、『Superunknown』は暗くて重い知性の塊のアルバムで、この「Like Sucide」を自分で書いたボーカルのクリス・コーネルが、2017年に自殺してしまったのは何だか皮肉めいていて本当に救いようがない結果です。
しかし、それを差し置いてもこのアルバムは素晴らしいです。アメリカのロックミュージックのマスターピースの一つです。
Superunknown (20th Anniversary)
- アーティスト: サウンドガーデン
- 出版社/メーカー: Universal Music LLC
- 発売日: 2014/06/03
- メディア: MP3 ダウンロード