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早速観ました!つまらないのか!?ひどい借り物だらけの新世紀駄作映画の誕生 『アド・アストラ』の感想

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『アド・アストラ』の意味って? 

 本日から封切りの映画『アド・アストラ』を近くのシネコンへ早速観に行ってきました。タイトルの意味はわかっていませんでしたが、映画館でトレイラーを観た時に面白そうなので、鑑賞しに行きました。

 映画は原題『Ad Astra』になっていて、上映が始まってからタイトルが英語で見えた時に意味が理解できました。たぶん、「アド」が「A.D.(エーディー)」で年号から「〜元年」のような意味で使っていて、「アストラ」が確か「星」とか「天」とかいう意味なので、「星の世紀」とか「星元年」みたいな意味合いでつけたのでしょうか。つまり、この映画から新しいエポックメイキングな宇宙映画を始めるというような監督の気合の表れだったのでしょうか。

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 映画のおおまかな内容

 内容は、主人公が軍から子供の時に冥王星へ知的生命体を調査へ向かい死んだと思っていた父親が実は生きている可能性が強いと知らされ、軍の依頼によって同じく宇宙飛行士になっていた主人公が探しに行く話です。

 また軍からの調査の本題は、父親がいると思われる冥王星付近から銀河系全体へ向かって強力な電磁パルス波が放射されていて、そのことが原因で電気が無効化されて、地球及び人類が入植した他の星々が存亡の危機を迎えているので、原因を突き止め解消してくると言った話でもあります。

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 映画冒頭から、感じる駄作の臭い

 まず、ブラッド・ピットの顔のアップを写し続けるところから映画は始まります。そこから、すぐに映像的に説明するにもかかわらず、主人公のブラッド・ピットが頭の中で考えていることをナレーションで語らせ続けます。観てすぐにここはクドくていらないと思って、この映画ヤバイかもと思ったのもつかの間、大気圏でブラッド・ピットが宇宙ステーションを修理する高所作業をしているシーンが始まり一安心しました。理由はそのシーンだけ独り言ナレーションが止まり、ハラハラして緊張感のあるシーンが始まって面白かったからです。

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 俳優殺しアップ地獄

 しかし、ここまででした。ここからは、ブラッド・ピットの顔のアップはもちろんのこと、全てが超ズーム状態で終始して行きます。船内映像、船外映像、部屋の映像全てアップです。おまけにブラッド・ピット以外の出演者も常にアップなので、基本首から上の演技以外要求されません。おまけに、宇宙服は動くのに適していないので、全身が映っても動きは特にないです。強いていてば、手がバタバタ動くぐらいです。

 こうなった理由は、最近のゲームで多いFSP(ファーストパーソンシューティング)の影響やVRのような自分の視界だけの主観的な一人称視点から意識して作ったのが原因でしょうが、所々主人公のアップや誰の視点なのかはっきりとしないアップが多用されるので、観ていて視覚的にも話としても焦点がぼやけ続けました。

 映像自体はアップではっきりさせているはずなのに、そうはならないこの皮肉、ある意味すごい。やるならやるで一人称視点だけやれば革新的だとは思いますが、それをやりきる勇気も気概も見えない中途半端な映像でした。中途半端な逃げは映像作家としてはやってはいけない。本当にひどいです。

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 セリフ殺し独り言地獄

 映像がアップ地獄なので、当然誰が映っても会話をするとなるとかなり巧妙に脚本と映像のバランスを計算しなければならないと思います。

 だが、この作品はその面でもごまかしをするために、ブラッド・ピットの演じる主人公が父親がいないせいで感情を出さずに自分の殻に閉じこもり、他人と打ち解けることがないという設定を与えます。

 その設定のせいで、アップしかない主人公が自分の内面で思っている心の声や独り言を喋り続ける免罪符を与えています。つまり、宇宙船で冥王星に向かうミッション中に他の宇宙飛行士と会話をしないでOKということです。

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 だから、平気でその他の登場人物を切り捨てて行きますし、心の交流がないので他人が死んでも特にそれで物語は変わりません。そして、その一人密閉空間を観ている人間の間を持たせるために独り言ナレーション地獄で2時間行きっぱなしです。

 また、独り言だけではわからない主人公の心の変化は検査機械に話しかけて判断させることで、心の動きを観客に伝える誰でもできるやり方。これも本当にひどい。丁寧に心情を理解させているようでいて、自分の話の辻褄を合わせるための乱暴な手法という皮肉です。

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 よく考えたら、辻褄の合わない物語

 この物語は、父親の宇宙飛行士のミッション中の事案のトラブルが起因です。そして、当然そのことは軍事機密になっているので、それを漏らさないことも兼ねて同じ宇宙飛行士になった息子に迎えに行くミッションを与えます。

 しかし、おかしいのが何故何十年も、政府はその父親宇宙飛行士をそのままの状態にしていたのかが納得できません。何故普通に宇宙での人のやりとりが当たり前になった時代を描きながら、何十年もその後始末をやりに行かなかったのか。映画の中でも簡単に自動制御でほとんど行けるんですから、それまで誰も送り込んでいないことが極めて不自然です。どうして、そのままだったのか何も説明がありませんでした。

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 何故息子を送り込んだのか?理由が息子だからは無理がありすぎ

 また、ブラッド・ピットの演じる息子を送る必要があったのかということ。わざわざ成長するまで何十年も待つのは余りにも不自然すぎる。そんなに経つ前でも、経った後でも普通に暗殺部隊を送り込むか、それが不可能ならわざわざ積んでいる核ミサイルで攻撃すればいいのでは?結局は、破壊工作させるんですから。

 次は、父親へのヴォイスメッセージをブラッド・ピットに吹き込ませるんですが、それが現代でもおかしい。それをやることで、父親とのコンタクトを取らせるのですが、子供の頃に別れているので子供の声だと分かるわけがないし、ヴォーカロイドでも作れるでしょ。おまけに、いくら冥王星が離れているとは言っても、声だけはおかしいし、わざわざ火星で撮る必要性はない。地球で撮れよ。

 おまけに火星に行く前の月での基地の移動も襲われる危険性があると事前に言っているのに、3台だけで機密事項だからという理由で移動して、案の定攻撃されます。これは機密事項が主人公を運ぶことでも何故そこに行くのか言わなければいいだけで、ちゃんと護衛していけばいいだけだろ。なんじゃこりゃ。ハラハラさせるための装置なんだけど、これも襲った敵と一緒で乱暴物です。

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 映画自体は独りプレイなのに多岐にわたるSF宇宙映画からの借り物映画

 映画は主人公がSF宇宙映画初主演のブラッド・ピットを除いて、その他の主要人物が宇宙映画から引っ張ってきていて、目につくだけでもここだけは多彩です。

   まず老人宇宙飛行士の活躍を描いた名作『スペースカウボーイ』からトミー・リー・ジョーンズとドナルド・サザーランドをピックします。確か、その映画でトミー・リー・ジョーンズは月に残ったはずです。もし、この映画『アド・アストラ』が最高だったら粋に感じるんでしょうけど、この出来では逆に腹立たしくなってきます。ちなみに今作では父親として痴呆症になった老人みたいな扱いでリリースして殺します。

 また本作のヒロインはブルース・ウィリス主演でメガヒットした『アルマゲドン』のヒロイン、リブ・タイラーを今作でもヒロインで起用しますが、主人公の妄想シーンでしか登場しない離婚した妻役の雑な扱いです。

 そして、宇宙へのシーンが全くないのにもかかわらず最高の物語として描かれた真の名作映画『ガタカ』からも人をピックしてました。ガタカの主人公の弟の刑事役をやっていたローレン・ディーンです。今作の中で何か主人公とコミュニケーションをとるのかと序盤臭わせて、何もさせずにあっさりと殺します。

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 さらに、物語も当然のようにパクります

 例えば、独り言地獄映画としては最高傑作ですが、キリスト教世界以外では全く理解不能のテレンス・マリックの映画『ツリー・オブ・ライフ』のパクリのような映像表現と独り言ナレーションの合わせ技です。そういえば、この映画にもブラッド・ピット出てましたね。でも、その時のナレーションは「Where is God?」がずっと連呼ですから、同じ独り言でも趣が違います。

 加えて、本作では主人公の息子が父親に感じている感情が、愛情というよりも「怒り」が強いとテーマのように呟かせるのですが、その際に「Rage」と連呼させます。この重要っぽいキーワードもパクリで、このブログでも取り上げた『インターステラー』の一番重要なキーワードでした。この映画ではキーワードがなかったので、もちろんただオマージュで使ったつもりなのでしょう。くだらない引用です。

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 しかしながら、宇宙独り言地獄映画にはパイオニアがありました。中年の変に肉付きのいいおばさんがただ狭い密室でもがく様を見せ続けられる地獄映画、『ゼロ・グラビティ』です。ここから、宇宙独り言映画はOKと安易に思ったのでしょう。一番重要な設定もパクリです。

 しかし、同じSFでもエイリアンやブレードランナーなどからは何もパクっていません。そこはいいところだと思うのですが、もしあんな作り込んだ世界観をパクったら粗が出過ぎて、ただでさえ破綻していた物語はもう目も当てられない状態だったでしょう。ここは懸命だったと思います。

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 最後に言いたいこととまとめ

 ここまで、クソミソに駄目だと言いましたが、最大公約数のいいところがあります。ブラッド・ピットが好きな人にはたまらない映画だということです。演技はできないので、そこには目をつぶっていただくとして、ずっとブラピの顔が2時間見続けられます。この部分は最高ですよ。渋くなった中年のシワの年輪も数えることは余裕でできるぐらいアップし続けますから。

 ただし、デイビッド・フィンチャー映画でブラッド・ピットファンになった人は観ない方がいいかもしれません。あの監督の映画以外ははっきり言って駄目な役者ですから。決まった通りの演技しかできないスター俳優としてならOKですが、、、。

 そして、この映画は煽り文句が「ブラッド・ピット史上最高傑作の演技」と言っていますけど、「ブラッド・ピット史上最高の顔芸」の間違いでしょう。映画の物語も本当にめちゃくちゃでくだらないです。

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 先ほども言いましたけど、自分の殻に閉じこもった主人公が周囲を自己都合で犠牲にしてもOKで、最終的には「愛」と呟かせて終わらせますが、その言葉でなんでも終わらせれば大円団みたいな映画的手法を最後にも使って、中途半端に終わらせます。

 最後にまとめると、この監督はコピー&ペースト文化の生み出した新世紀の駄作を誕生させたエポックメイキングな監督として後世に名が残るかもしれません。素晴らしいところやダメでも面白いところを探すのにも苦労させられる映画でした。つまらないので、臭わせの雰囲気だけを楽しみたい人や映画を何も考えずに観れる人にはオススメの映画です。それにしても今回はキツ過ぎました。それでも駄作について書くのも戦いになって学べたので、観てよかったのかもしれませんが、、、。

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