てんぴかソングブック

ポップカルチャーのレビュー中心です。やっと50記事超えたので、次は100記事まで。

『家族を想うとき』現代社会の基本構造 搾取する側とされる側の問題とフランチャイズ制の問題しかない悲しい映画

この記事をシェアする

f:id:tenhikari:20191226143528j:plain

 【はじめに】

 今朝はジャック&ベティでケン・ローチ監督の映画『家族を想うとき』を観てきました。特段観たいと思っていたわけではなかったのですが、うまい具合に時と場所が合致して観に行くことに、、、。

 平日の朝の映画館なので人はまばらで、年金生活と思しき中高年がちらほら、十代二十代は皆無でデートで見に来ているような人も皆無。人もまばらなら開けたばかりの映画館も隙間風が吹くようにまだ寒い中、30分ぐらい待ってからの上映開始でした。

 【映画の重すぎるテーマ】

 そして肝心の映画のテーマですが、一般的に今までの家族がテーマの映画だったら薬やアルコールに溺れることや片親や貧困、暴力や戦争などといったことで起こる家族の問題や、日本だったら孤立化といった話が多いのは最近のトレンドではありますが、この映画はそれらとはテーマが全く違ってました。テーマは資本主義が引き起こす搾取の問題です。いや、資本主義でなくても人が集まって都市化すると必ず引き起こされる人類史が始まってからの問題と言えばいいでしょうか。

 つまり、都市部の人口の過密状態が引き起こす衣食住の問題や仕事を求めて別の場所から人がさらに集まることによって過剰になった人口と、それに対して足りない仕事の需要と供給の問題とそれによって引き起こされる賃金の低下と搾取といった問題です。

スポンサーリンク
 

【映画で描かれるフランチャイズ制の問題】

 そして、この映画では、何とか家族を食べさせようと糊口を凌ぐために仕事を求める人に漬け込む雇用主と弱い立場の雇用者側との両方の力関係が丁寧に描かれていきます。

 さらに、雇った人間を何故か雇用主に常に借金しているような状態にして、本来出ている利益を還元せずに雇用主だけが儲かり、働いている方だけが何故か借金が増えて行く仕組みにはまってしまった時の怖さもしっかり描き出します。

 つまり、この映画の中で何を問題として扱っているのかと言うと、世界中に広がっている現代のうますぎる新奴隷制度フランチャイズ制が引き起こす問題についてです。

 例えば、今の日本ならコンビニオーナー制度のやり口といえばわかりやすいでしょうか。基本構造はそれらと全く同じです。雇用側が開店資金や運転資金面のサポートは全くせずに名目上は自営業者として自己責任ということにして、商売のノウハウを授けることを隠れ蓑に何の責任やリスク負うこともなく上前だけを跳ね続けることです。

 おまけに付帯条件に法外な違約金を付けて簡単に自由にやめられないようにする。何のお金も払っていないにもかかわらずです。さらに、異論は受け付けません、何かあるならどうぞやめてくださいの一点張りです。

 つまりまとめると、ずっと一方通行で上前を跳ね続けているのにもかかわらず、いざ辞めるときにもお金を払えという完全な奴隷契約状態の仕組みです。だから、奴隷の本場アメリカが発祥の搾取する側のみが太るマクドナルドのフランチャイズという発想が、手を変え品を変え世界中にあまねく広まったのでしょう。資金面のリスクも責任も負わないで、法的にはグレーのまま(倫理的には真っ黒でも)旨い汁だけを吸い続けるのは本当においしすぎますからね。

 そして、怪我をしようが病気になろうが求職者が多く替わりがいくらでもいるのをいいことに雇われた側は使い捨てで使われるだけで、ただ利用されつくしたら一方的に唾棄されてしまうのです。

スポンサーリンク
 

 

【最後に映画のまとめと感想】

 この映画では、現代のイギリス社会に沿ってこういった問題を徹底的に描き、主人公の家族を始めから終わりまで破壊し続けます。そして、映画的に安易な救いや解決策なども作りません。おまけに、今現実にいる人たち(この映画だと配送ドライバー)に取材し実際起きたことのコラージュで紡がれているというのが、さらにこの映画を救いようのない物語にしています。なので、エンドクレジットには名前を非公開で協力したドライバーたちに感謝の意も述べていました。

 最後に感動懐かしさ共感商法というのか、現代の日本の映画に多い安直な青春ハイティーンムービーや古き良き昭和時代映画や芸能事務所と抱き合わせのアコギさが見え隠れするだけの映画にあきあきしている人にこそお勧めできる映画です。

 この映画を観て何も感じないようだったらよほどの温室育ちのバカなのか、今現在甘い汁を吸って搾取する側のどちらかなのでしょう。あ、このブログの構造もほぼ一緒なのか。

スポンサーリンク