ほぼ全編にわたって大音量のギターとそのフィードバックノイズで埋め尽くされて、その中で気が滅入るような日常や疎外感、絶望まではいかないけれど失望している現実、自己憐憫ではないけれど感覚の麻痺した倦怠感を口ずさみやすい甘いメロディーで静かに歌う。
このジーザス&メリーチェインのファーストアルバム『サイコキャンディ』は暴力的な音のアルバムと言われて久しいが、決してそんなことはない。ただ、人を高揚させるようなメッセージや単純な恋愛の歌がないだけなのだ。
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だからと言って殺伐としているような印象は感じない。ひたすら湿っていて、曇っているような行き場のないどん底感で、そこを抜け出そうなんていううざったいメッセージも込めずに静かに歌っていく。それでいて、モータウンやロネッツみたいなコーラスで曲をさらに甘くポップにしていく。まるで、ジメジメしたところが好きだから甘美な自分の世界から抜け出したくないとかえって自分を現実から遠ざけようとしているようだ。
今現在のように言えば、学校に行きたくない、仕事に出かけたくない、人に会いたくない、めんどくさいことはしたくないと日常からはっきり逃げるようなことはしない。ぼんやりと自分の世界に耽溺していって、だんだん駄目になっていくのに任せていくような感覚に近い気がする。この時代のイギリスは希望があった訳ではないのに先に失望しているうんざりした感覚が通奏低音として流れていたのだろう。始めた訳でもないのにもう終わっているような感覚。
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だからと言って、現実逃避もやりすぎれば体に毒だ。先日読んだ『ハイ・フィデリテイ』にも音楽を聴くことが悪いことだとは言われないが、音楽ばかりに没頭していると気がついたら駄目になっている行きづまり感がユーモアを交えながら描かれていたが、やはり同じようにこのうんざりした気持ちが流れていたのだろう。
また、この時代のすぐ後にクラブカルチャーが盛んになり、音楽ばかり聴いていて駄目になった人たちの逃げ場として大きな流行を生むが、そこから生まれるお金に群がる薬や暴力沙汰であっさりと崩壊した。そんな楽園が実際は何もない虚構で、終わった時にはまた同じようにただ終わった感覚だけがただ残っている。そんなやるせなさが別の小説にはなるが『トレインスポッティング』でも描かれてある。
ここ日本でも、ぼんやりとしてやる気がないことをよくないこととされて久しいが、この音楽は聴いてもそんな状況から抜け出すための安いっぽい希望や解決策を与えてはくれない。ただ周りの状況をぼんやりと傍観してるだけの音楽。太陽、光、雨、朝、ハニー、チェリー、キャンディ、ダウン、ホール、フォールの単語ばかりを使いながら、フィードバックノイズを伴奏に甘く夢見心地にさせるようなメロディに乗せて、ただ静かに歌っている。決して聴いたからと言って今流行りのコスパはよくないですが、、、。
Psychocandy (Expanded Version) [Explicit]
- アーティスト: The Jesus And Mary Chain
- 出版社/メーカー: Rhino
- 発売日: 2011/09/26
- メディア: MP3 ダウンロード